第二十二回東京購入分 江古田文人会「零(2016年春号)」、間澄ひつき「迷う者、導く者」

組鐘ヒムネ「破滅少女小品集3」、砂金葉之「暮れ六つ」、クム「くまぬいぐるみ本」

SAMARIYA「ちょっと底まで」、ヒトリシズカ「箒木 第二回」、岩田タク「椿舘」、
永冨恵子「東京ノラ猫生活」、千葉DOLL工房「オールカラー図説 大人のシルバニア」



第二十二回東京購入分1


江古田文人会/零(2016年春号)
作者:5名
紙数:120
版型:A5ソフト
割付:上下二段
文字以外の要素:――
表紙:コート
カバー:なし
印刷:ちょ古っ都

【御縁と寸評】

 見本誌コーナーの方へ歩いてると、何やら視線を感じそちらを
見るとかわいらしいぬいぐるみが(微笑)。
 そのもふもふされたがってるぬいにふらふらと吸い寄せられて
「こんにちはー」と店の人にあいさつをされる。しまったー!
 ぬいに伸ばしかけた手を慌てて本の方へ捻じ曲げて掴む。
 タイトルは『零』とありフォントもオシャレな感じだが、その下に
つぼみが四つ付いた桜の一枝が配されている。
 まず思い浮かんだのは同期の桜――神風特攻隊であった。

 文人会という響きに新鮮さを覚えつつどのような集まりなのか、
お話を伺うと大学のサークルとのこと。しかも現役(2,3年生)。
 若い人の書いた文章(それも純文学)を是非読んでみたいと
思い、購入。(タイトルは特にゼロ戦とは無関係)
 まさにぬいに釣られたわけですが、良い御縁でした。


横山翔『自殺癖』――
 ある目的のため初対面の男と寝まくる「わたし」の独白から
始まる。そのうちの一人となる「僕」は彼女の問いに興味を覚え
再び会って哲学的な議論を交わす。
 夢と現実、自殺と殺人、意識と無意識、期待と不安――
議論と再会を重ねる過程で二人はそれらの境界が曖昧で
判断しがたいという現状を認識せざるを得なくなる。
 「わたし」はずっと求めていた「答え」を自覚する――。

 ラストの展開はありだと思うが、ただ一点、「わたし」の衝動が
その行為の原動力であるなら、「僕」の生きがいであるカメラ
に対してもその衝動をぶつけたほうがより劇的かつ象徴的に
なったかと思う。しかし「わたし」はそれとは別の行動をし、
「あなたが求めていた写真って〜かしら」の一文がくることで、
なんだか急に確信犯的な悪役になってしまった感がある。
別の言い方をすれば、裁判でこの「わたし」を有罪にしたくなった。
 つまり、それまで(曖昧ゆえに都合よく)同調できていた心理が、
最後の最後で別人格になったような唐突感である。
異常性は強調できても、境界の曖昧性という本来的な流れには
棹差す結果になったようで惜しい。


傘と紙魚『林檎』――
 亡くなった父親の双子の弟優太郎と、父親の娘花雪との
どことなく面映い日常を描く前半部は、抑制された筆致が醸す
二人の心理描写の書き分けが上手い。特に優太郎の行動
(やその行間)からは(私が同姓で硬派で年も近いせいか)
彼の心情がかなり掴めるのであるが、花雪の理解をあやふや
にすることで読者に推理の幅をもたせたまま物語の展開に
興味を向けさせることに成功している。
 中盤の事件は緊急事態にも関わらず「ねこちゃんいじめ、
やめ、やめないならっ・・・・・・通報、しますよ・・・・・・!」に萌え。
 ただその後のアクションシーンに重点を置いた描写は、作者
の趣味と私の趣味とが異なるところで、その齟齬は最後まで
ずれたまま、わくわくしながらアダルティシーンを待っていた私
としては、二昔前の少女漫画かトレンディドラマかといった結末に
「そこはやさしさよりもはっちゃけて欲しかったー」と仰け反った。
 優太郎と花雪の室内アクションシーンが見たかったデス。


山本貫太『蜘蛛の糸』――<修正済み>
 一読目は少々核心をつかみにくい感じだったのですが、
テーマが「人を助けることが人を救うことになるのか」だと知って
読み返すと、A「医者と主人公」、B「医者と母親」、C「父親と伯父」、
D「先輩と子供」、そしてE「妊婦と主人公」という、
”助ける者と助けられる者”の関係性が浮かび上がりよく把握できた。
 その中でDの「先輩と子供」だけが助けないという選択肢で
関係性が描かれるわけだが、その唯一の異なる選択肢の顛末
が全く描かれず、読者自身で答えを出せと突き放す厳しい筆さばき。
 この部分はとことんまで突き詰めて答え(=救いにならない)を提示するか、
あるいは救いとなる話(関係性)まで二種類描いてみせた上で読者に選ばせる、
というほうが、より訴えたいテーマ(=疑問の提示)が明確化できたかと思えるが
どうだろう?
 またA〜Cはテーマに沿って上手く描けているが、
E「妊婦と主人公」については正直説得力に乏しい気がします。というのも、
Aの延長的な見方もできなくはないが、胎児と引き換えに命を
救われた主人公が、結局自殺でしか自己の救済を見出せずじまい
というのは安易というかご都合主義っぽくて僕にはちょっと残念な展開に
思えるからです。だからDか、このEの関係性をもっと掘り下げて、
A〜Cのどちらかというと救済否定論的なエピソードとは異なる”答え”を
提示することで、もう一回り大きな枠組みで(例えば因縁譚的に)
読者にテーマを明示できたのではないかと。飽くまで私の感じ方ですが。

 ところでEについては、主人公が救済されていないわけであり、
その意味で未だ助けられていない(妊婦の行動は不十分)という
解釈も成り立つ。私はむしろ「不治の病人の救済とはいかなるものか」
というテーマのほうに個人的関心があるので、いつかこの小説の
(テーマの)アンサーとして一作書けたらと思う。(それを以って私の答えとしたい)


川島佑太『有希』――
 良いですねえ。主人公も世界観も非常にフィーリングの合う作品です。
そして何より若い! 作者自身「今しか書けない作品」と仰ってますが、
青春から一歩踏み出す時分の若い男女が、女の喪失(別離)によって
更に悶々とした試練(人生)に必死で向き合おうとする男(の心情)――
というのはやはり若い時にしか書けないかと。かくいう私が一番初めに
小説という体で仕上げた小品もまさにその雰囲気を纏うものでした。
(それは初長編『心象の果ての少女』のベイスにも組み込まれた)

 しかし作者はさすがに(作品の)場数を踏んでるだけあって
完成度洗練度ともに私の木っ端な小品とは比ぶべくもありません。
 例えば、若いですからどうしてもアクセルばかり踏みがちになるんですが、
作者はブレーキングが上手い。
 それもフットブレーキではなく、エンブレを使ってるのが円熟。
何の前触れもなく時系列が瞬間的に遡って場面が変わるのだが、
その主体となる視点は不変であり、またふっと時が(場面が)戻る。
現在の「俺」はそのまま連続していて思考だけがふっと切り替わり、
また元へ切り替わる。なので、場面転換に伴う切り貼り感をほとんど
感じさせずにキャラの造形が整っていくんですね。
(私なら回想のセクションとか別キャラで語らせるとかで、つい説明的に
やってしまうとこで、そうすると物語が肥大化する)。

 考えてみると、人間の思考ってのはまさに(若干の長短はあれども)
極めて短い時間の連続なんですが、その思考のとりとめのない不連続性を
逆に利用することで、現在に過去の時系列が突然割り込んできても
我々は自然に(かつ瞬時に)ピントを合わせてしまうんですね。
これは映像的な手法をそのまま文章化したような感じなので、
まさに映画を視るように映像が浮かんでくる。
しかも上手いのはラストで、それまでの切り替わりの幅とは桁違いの
切り替えしがクルんですねえ。脱帽です。


川田修平『わたしたちの結婚生活』――
 若者らしい変革魂漲る著者の作品。私も若い頃は自己の不満を
社会の変革によって解消することを夢想していました。この世は
諸行無常であるけれど現代はそれに技術革新や規制緩和が輪を
かける形で流転の速度を速めています。作者はそのスピード感が
「おもしろくなる」と好意的ですが、今の私はどうしようもなく変わって
いくことが絶望的に思え、そんなカオティックな嵐の只中にあっても
変わらないでいるものの良さをこそ、逆にこの世の中に聲を大にして
叫んで、否、謳ってみたいと思っています。

 私たちは所詮人間であり、その人間如きが拵えた社会で万人が
幸せになることなんてありえない。新しい社会の誕生は、同時に旧い
社会の滅びを意味する。逆に、新しい社会を生むには、旧い社会を
滅ぼさねばならない。
 古来より、数多の人間がそれに挑み、達成できないでいる。歴史を
紐解いてどうして達成できなかったのだろうか、と惜しむこともあれば、
頓挫して良かったと胸を撫で下ろすこともある。それは人間が主体で
あるからだ。いずれにせよ、彼らは束縛の内で自己を研磨鍛錬した。
ギラギラと命が輝いていた。
 人間を超越した理想郷を、人間ごときが築くことは不可能なのだろうか。
 私は最近つとに、この時代は合わない、と感じます。もっと早くに生まれたかったと。
日本人がギラギラとしていたあの時代に――。


総評
 五人中四人の作者が「人の死」を作中に大きく取り込む形で書いている。
その点にまず驚きを禁じえない。5月11日付け産経新聞の報道によると、
未成年者の自殺者数は年齢階級別で最も少ないそうであるが、
死因別に見ると非常に高くなるそうだ。
 これはいったい何を意味しているのだろう?
 今回四人が四様に描いてみせた「人の死」は、どれも単なる味付け
(アクセント)として盛り込まれたものとは思えない。作者らはちょうど
未成年を脱した頃合と見受けるが、そんな彼らが、自然的な死から
最も遠いはず(と信じる)彼らが、「人の死」に様々な思いを馳せる。

 「先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」――とは日蓮の言葉
であるが、日本人が「人の死」から隔離されて久しいなか、あの東北の
大震災は否応無く、隔離し切れぬほどに、「人の死」を我等に突きつけた
のではなかったか。そして将に、四人の作者たちは、十代という多感な
時期に大勢の唐突なる「人の死」を目の当たりにした。
 あの未曾有の天災を受けた後、様々な人間が様々なことを語り始めたが、
本当に語られるべきことが語られる事はほとんどなかった、というのが、
私のずっと思うところである。
 上述の日蓮の言葉には「人の寿命は無常也」という前振りがある。
この感性を若い人にどう伝えるかということが、私の沈黙の一角をずっと
占めていたわけであるが、言葉で語らずとも現象(震災死に限らない、死一般)
から本質を悟る感性が一部の知識人だけでなく、市井の若い人たちの中にも
それとなく受け止められていることを感じた次第である。

 同時に、イメージだけが先行し、死に魅入られてしまう中学生もいる。
そこにはやはり、言葉の必要性重要性を痛感せざるを得ない。
 真摯に言葉を紡ごうとする側に立ちたい意思をもつ私は、その準備のため
今年一歩を踏み出したが、文学フリマという場で若き同志たちの姿(作品)に接し、
またやりきれない中学生の自殺の話を聞き、言葉のほうでも踏み出すべく
研鑽の手に力が入るこの頃である。



カブトガニ試食会/間澄ひつき短編作品集「迷う者、導く者」
作者:間澄ひつき
紙数:86
版型:A5ソフト
割付:上下二段
文字以外の要素:
表紙:上質紙(特殊)
カバー:なし
印刷:――

【御縁と寸評】

 見本誌コーナーにて、和紙風の表紙とタイトルに引かれて、掴む。
紙を束ねてホチキスで止めただけの無骨な製本も嫌いではない。
一人で書かれた短編集らしい。(裏表紙見る)「カブトガニ試食会?」
更に走り書きのコメントで「カブトガニは出ません。」
 どっちやねん! と思わず口走ってしまった。
「ひょっとして、タイトルの迷う者、導く者ってのと関係が?」
などと思い始めたが最後、真相を確かめたくなって、購入。


『その電車は何処へ行くのか』――
 前半どんどん引き込まれていったのに、「○○オチ」な展開で後半が始まる。
 もうね、此の年になるとオジサンは学園の男女を見せつけられると
眩し過ぎて目がくらむ。
 しかし活き活きとしたキャラたちに中てられるせいか、
不思議と和やかな、どことなく懐かしい、自分もそこにいたような、
そんな感じがふわっとクル。
 クルといえばラスト、そう来ますか。若いねー、若い!眩しい!鬱・・・。 
鬱過ぎてカブトガニの裏側を見せつけながら「カブトガニ!」とにじり寄りたい!
 ところで、「ドクペ」とは何ぞやとググってみた。杏仁豆腐の味だというので
いつか飲んでみようと思った。


『白仮面』――<修正済み>
 ニュートラルな世界観を演出する軽妙な文体と、その存在性に見合った
エキストラの描写に引き込まれる。
 「男の子」は物語のカギになりそうなミステリアスな立ち回りをしながら、
最後の一行が拍子抜け。
 私なら途中伏線を入れ眞逆のニュアンスを喋らせるところだが、作者は
そういう安易な因縁譚を回避する。否、むしろ全体像の背後に
「対人用の仮面を付けてコミュニケイションする人間」→
→「仮面なしでは個を認識されない現代社会」といったテーマを見出すなら
この物語はむしろ、秋葉で起きた殺傷事件が題材というかそのものなのでは、
という妄いもする。


『旧市街の夜』――
 少年と少女との小さな冒険譚。ちゃんと子供らしい主観の文体になってます。
 甲冑が挟まったところは笑ったけれど、ラストは切ない。あと、作者、
 仮面好きですね(笑)。


『ラブソング』――
 愛という感情の欠落した男女が、國が認可した臨床実験を受けて愛を知る
ようになったが、やがて問題が露呈する。そこで二人は愛を回路で制御する
というこの処置を継続するか否かの選択を委ねられ・・・、というお話。
 先の読めない展開、静かだけれど存在感のあるキャラクタァ、そのキャラの
言動で構築されていく必要最低限の世界(の描写手法)は本作でも如何なく
発揮されており、見事である。心象風景の描写も含めて文体が淡々としていて、
それがテーマに沿った雰囲気をうまく醸している。
 愛するようになった男女の日常生活なんてものは「つないでる手の上に
鳥フン落ちろ!」っていうぐらいにクソであるが、そのクソビッチが作者の文体を
通すことで、どことなく儚いものとして浮かび上がってくる。
 それは陽介(主人公)が時折感じる違和感と同調しており、
そのある種の幸福に対する不安感――、つまり、何か決定的なものと
引き換えにして手に入れたという後ろめたさが、人魚姫のような悲哀を帯びて
一見幸せなんだけど、ほんとうにこれで良かったのかという思い、
そういう相反する思いが根底にあるのが解るから、読み飛ばすこともなく
ページが繰れた。
 ラストの陽介の心情はいろんな解釈ができておもしろく、かつ切ない。
 ほんの僅かの接点しか無かったのにずっと印象に残る人。
 そんな想いを時折取り出しては眺めてみるこれからの新生活。
 恋愛というとちょっと身構えてしまうけれど、その本質は出逢いと別れ――
一期一会なんだと、読み終えた後に見る五月の空は深みのある青をしていて、
思わず「すべて世は事もなし」と、またぞろ虚しくなっちまいました。


『迷う者、導く者』――
 最後を飾るのは表題作。小説というより戯曲といった趣の文章。
 主人公が夜の丘から飛び立つ(フランダースの犬x宮澤賢治みたいな)シーンが
とても印象的なのに、またしても「○○オチ」ですか。でも逆に言えば、
作者はファンタジー的な世界観は好むけれども、ファンタジー的なオチは好まない
ということで、ちゃんと主題を着地させる様式美的な安定感があるのは事実。
 譬えるなら、体操競技でとても幻想的な演技を披露し、大技も決めるが、着地は
割とシンプル。でも崩れない、みたいな。最後に超回転しながらどこか遠くへ飛んでいき
会場どよめいてやまぬというような感じではないですが、演技の終盤、大技の後の着地
というのはやはり難しく、それによって観る者の印象も変わるので、迷いのない着地と
いうのはやはり気持ちの良いものがあるのも事実。


総評
 次回作も期待してます!



第二十二回東京購入分2

サークル名(登録名)/題名 御縁と感想 データ

Totentanz_Rosenkranz/破滅少女小品集3

 ゴシックな表紙に「破滅少女」の文字。
思わず、掴む。旧作も同時に出されていた
が、新刊が一番フィーリング合いそうなの
で、新刊を購入。

 お試し本としおりを付けて頂きました。
このしおりがまた素敵にゴスロリしています
(愛用してます)。
 薔薇づくしの扉絵をめくって始まるのは
『許可』。凄まじいラストインパクト。
 日常の中から突如非日常が日常の装い
で現れ、読者をどちら側にも行かせず
境界に縛りつけたままで終わる――。
良いですねえ。『瑠璃薔薇、罪薔薇』も
そうですが、文体が私好みでテンポ良く
読める。特に人を殺めるシーンの描写は
残酷なのに品がある。津原泰水好きな
人にもおすすめ。

作者:組鐘ヒムネ
紙数:56
版型:A6ソフト
割付:なし
文字以外の要素:扉絵
表紙:色上質紙
カバー:なし
印刷:太陽出版

草露の宿り/短編集「暮れ六つ」

 私好みの硬派な表紙に思わず、掴む。
しかし愕いたのは製本で、昭和期に
刊行された横溝正史の文庫とかを彷彿
とさせる、市販の本とほとんど遜色ない
仕上がり。
 カバーも付いていて、とにかく書籍として
のデザイン・つくりに感動。
 中は短編集のようで、動物の出る話が
多そうなので、購入。

 内容はちょっと私には難解でした。
フィーリングが合ったのは、
『怪物と英雄』、『窮鼠の愛猫』。
 『たぬき』は目次から真っ先に立ち読み
した一編でしたが、童話風な展開の予想
に反し、意外な結末でした。

作者:砂金葉之
紙数:120
版型:A6ソフト
割付:なし
文字以外の要素:なし
表紙:
カバー:あり
印刷:コミックモール

くむ組む/くまぬいぐるみ本〜移行対象としてのぬいぐるみ〜

 テラス状の通路に出てカタログを見て
いると「くまぬいぐるみ本」の文字。
売り場に直行す。
鼻息も荒く「これください」と指差すと、
「中読まなくてだいじょうぶですか?」と
親切に言われるも「ぬいぐるみだから」
とは言えず「見てきました(カタログを)」
と答える。「ああ、見本がありましたね」
といい感じに誤認されセーフ!

 小説ではなく評論です。
 テディベアの起源の話が興味深かった
です。筆者はぬいの中でもくま専らしい
ですが、私の友人にも超おきにいりの
くまぬいをずっと大事にしてる奴がいますね。

 私は雑食趣味なので「もふりてえ!」と
思えば手当たり次第な感じですが、
子供の頃からずーっと一緒の、いわゆる
「ファーストぬい」との出会いは、筆者と同
じ年のころで、その関心の契機にも共通点
があり、男だけどぬいぐるみ好きになる謎
(心理)の解明の糸口はもしやその辺りに
あるのかもしれぬし無いのかもしれぬ。

 ぬい関連はいろいろアイディアがあって
早く練り上げて形にしたいですが、本作に
よってまたひとつアイディアが生まれました。
御縁に感謝します。

作者:クム
紙数:16
版型:A5ソフト
割付:三段
文字以外の要素:イラスト、写真
表紙:レザック
カバー:なし
印刷:ねこのしっぽ


第二十二回東京購入分3


SAMARIYA/ちょっと底まで
作者:森めろこ、夕波
紙数:62
版型:A4ソフト
割付:なし
文字以外の要素:――
表紙:コート・マットPP
カバー:なし
印刷:ポプルス


 デカい! 
 小ぶりの本が居並ぶ見本誌コーナーの中、堂々たる威容で横たわる。
その粋やよし、と掴む。
 若いお姉ちゃんが水底に沈んでる絵と「ちょっと底まで」の題。
コミック系の同人誌を少し大きくした様な装いである。
 中を開くと、文字もデカい。冒頭には
「この作品を書きはじめるまで」とか、
「エッセイという文章を書くにあたって」といった表現があり、
本の後半部には日記調の記述も見られるのだが、
世の中にはノンフィクションを装った小説だとか、
本人にはリアルだがどうみても妄想であるといった虚実撞着本まであるので
とりあえず「小説かもしれない」という態でパラパラ適当にめくって読むと、
これが実にオモロイ。

 ニヤニヤしながら「これってやっぱ小説なのか?実話なのか?」と
判断つかず。他に情報はないものかと本を閉じ、ふと値段が目に入る――
安っ!(100円か150円だった)。売り切れるとまずいと思い早速買いに走る。

 後で確認すると「ノンフィクション・エッセイ」でした。
(本体に記載のSIBERIAFRICAで探してたので確認に骨折れる)。
 二人の作者による共著のようです。
 ふと、エッセイと私小説ってどこが違うんだろうかと思ったが、
調べ始めると焼きそばが伸びそうなので、ふーっと頭から追い出す。
 あとこの本、妙に良い香りがします。なんだろ、女の子のお部屋の匂い?
(這入ったことないけど)


森めろこ『チョーキングオーケストラ』――
 作者が中学生時代に所属した部活における人間関係を中心に
回想した作品。
 序盤の記述はほんまおもろくて、まさに事実は小説より奇なり
を地で行く典型であったが(年代が近しいので90年代ネタも解る)、
徐々に痛々しさが増すと伴に笑顔は引きつり始めた。
 作者がイタイタしいのではない。作者を取り巻く環境(世界)が
あまりにも痛々しいのである。

 別の寸評でも少し触れたが、昨今の事件の影響もあって、
どうしても未成年の自殺という問題に意識がフォーカスしてしまう。
 中学という時期(13〜15歳)がいかに特殊な時期であるかを
古の日本人は元服や裳着という儀式を介して能く理解していた
ように思える。それは身体だけではなく、精神も人に成るということだ。
そこで儀式を通して自他がそのことを認識すると同時に、
最低限の教育も為され、彼ら彼女らはある一定の制約のもとではあるが、
個としての自我を立脚し大人にまみれて生きていくこととなる。

 しかし、現代はいかなるものぞ。
 奇しくもその問題点は作者が作中に描かないことで示唆されている。
つまり、年齢階級間の断絶である。
 中学校が世界のほぼすべてを占めるというような時期において、
大人の存在感があまりに希薄だ。
 家族制の忌避、ムラ社会の意図的(行政主導的)解体、
差別を前提とした法令による未成年者の隔離――。
 ぐろーばるだ何だと言う前に、日本人はもっと手をつなぐべき相手が
すぐ傍にいるのではないか。

 だが私は血縁(家族)至上主義ではない。
むしろ家族の在り方はもっと多種多様で良いとも思う。
 だから私が問題とするのは、未成年者が相対できる大人たちの
選択肢が少なすぎるということだ。
 両親(あるいは片親)と教師だけという選択肢は、
自我という名の個性・価値観が着実に芽生え始めた彼女らにとって、
”選べない子”が存在して当然である。
 世の親は子供に対し全面受入か全否定かの両極端であり
(昔はそこで祖父母が諫めたり、加担をしてくれた)、
教師に至っては作者に限らず私の人生を振り返ってもロクな教師は
いなかった。当然である。戦後の大学特に教育学部は特定の思想だけが
幅を利かせ、それを受け入れなければ出世の道がないからだ。
 多様な子供を導かねばならないのに、取って付けたような
特定の思想だけでそれができると思えるほど彼女らの世界は甘くない。
 昔の人は言った。「若者よ、誰のでもよい、伝記を読め」と。
それは人と成りし後の理想とする大人の姿を、
代々語り継がれるような書物の中から見出すという知恵である。
それもひとつの選択肢と成り得るだろう。

 故郷が嫌いになるような地域地縁関係というのは、純粋一途な彼らを
理想郷を求めて彷徨う旅路へ追い立て、何処にもそれが無いことを悟ると、
或る者は銃を取り、或る者は数珠を取り、行き場を失くした世界の中心で、
手当たり次第に振り回すのだ。
 その怪物の発する咆哮に慟哭の調べがあるということを、知る者は少ない。
 そして、銃も数珠も無い小さな世界に暮らす少女は、身近な刃物や薬品に
ちらりと視線を走らせて、最後はとなりの彼女の手を取った・・・。

 子供たちが理想の大人たちを見ず、知らず、選べない社会で、
未成年者の自殺は増えることはあれども減ることはないであろう。


 後半は育児中の女性による日記『ドブのうわずみ』
タイトルどおりの内容でした。


サークル名(登録名)/題名 御縁と感想 データ

文豆茶屋/箒木 第二回

 内容も作りも非常に個性的な一冊である。
まず愕くのは原稿用紙に手書きという体裁
で、しかもただ手書きしたというのではなく、
フォント(文字の置き方)にも工夫がされて
いる。内容は箒木神社の縁起について
(の現代語訳)で、作者によるイラストも
添えられ「絵詞」になっている。
 神社境内によくある案内板の如き堅苦しさ
は微塵も無く、現代語訳というより意訳
というほうが相応しいかと。
 イラストがまた良い味が滲み出ていて、
おもしろいのであるが、一筆書きのように
描かれているのが絵の苦手な小生には
甚だ感心するところ。

 「原稿用紙+手書き」という体裁を含め、
いろんな意味で刺激となった作品。
作者:ヒトリシズカ
紙数:24
版型:B6ソフト
割付:特殊(400字原稿)
文字以外の要素:イラスト
表紙:厚紙
カバー:なし
印刷:――

岩田屋/椿舘

 ブースの列を流してる最中に目に留まった
一冊。暗い背景の中に黒髪和服の女性が
三人・・・かと思えば、よく見ると両脇の二人
は生首・・・というか、根のようなものが生え
てます。おお、思わず掴む。
 見知らぬ森、一面の霧、そして大きな館。
現れたのは白髪の老人と首のない少女――
うむ、購入!(お試し版も頂きました)

 内容はその期待を裏切らないもので一気に
読了。首のない人間植物という奇想天外な
キャラクタァに軽薄な違和感を感じさせない
のは乱歩に代表される怪奇小説の古典調
文体と独特のエロティシズムを平成人の舌に
合うようあっさりめの味付けに仕上げている
作者の力量であろう。
 後半部に猟奇的シーンが連続するのだが、
血液の代わりに「透明な液体」が出て、彼女
たちも泣き喚いたりしないのでじわじわと一
線を越えていく主人公と見事に同調してしま
う。また、その繁殖の方法には唸らされた。
 もしも私が同じ設定で書いたら、人間(少女)
植物というキャラとそれを維持する「主」に振
り回されてただのエログロ小説になりそうだ
が、場面場面でふっと挿入される映像的(視
覚的)描写が実に鮮やかで作者の美学を感
じる。それはエピローグの最後の二行にも能く
現れている。

作者:岩田タク
紙数:
版型:B6ソフト
割付:なし
文字以外の要素:
表紙:クリアPP
カバー:なし
印刷:ポプルス

ニセアカシア発行所/東京ノラ猫生活

 雨の日の夜、箱の中からこっちを見つめる
二つの目――キラーン。
思わず吹いてしまいました(笑)。コレ良いわー。
 例えば、動物園の動物ならそこへ行けば
誰でもその写真は撮れます。(もちろん機材
や技術の差はあるが)。ある程度は撮れる。
建物も然り。だがノラ猫はそうはいかない。
狙って撮れるものではない。恐らく撮影者で
すら同じ写真は二度と撮れないであろう。
そこにこそ私は価値を見出す。

 同じサークルから寺社ねこの写真集も出され
てたんですが、こちらの方が奇抜なものが
多かったのでこちらを購入。藤原新也の
「猫番付」を彷彿とさせる面白さがある一冊。

作者:永冨恵子
紙数:20
版型:特殊(230x220)ソフト
割付:なし
写真以外の要素:なし
表紙:
カバー:なし
印刷:――

千葉DOLL工房(登録名不明)/オールカラー図説 大人のシルバニア

 ブースの列を流してる最中に目に留まった
一冊。表紙はかわいくないんですが(苦笑)、
「シルバニア」の文字と「DOLL工房」の文字
に思わず足が止まり、掴む。シルバニアの
改造本のようです。「かわいくないなあ」と
苦笑しつつもコメントがおもしろいので結局購入。

 興味深かったのは人形そのものよりもむしろ
紙面構成で、小さい写真を数多く配置してあ
るんですが、不思議とどれも魅力が遺憾なく
伝わってくる。この構成は今後の参考にしたい
と思う。本のつくりはフルカラー印刷の紙を山
折にして束ね表紙で包んでホチキスというシン
プルなものですが、雑誌系の書籍の場合には
逆に味わいが出て良いかと。
作者:千葉DOLL工房
紙数:12
版型:A5ソフト
割付:なし
文字以外の要素:写真
表紙:厚紙
カバー:なし
印刷:――

ねこまた会/博物記

 「博物記」という題名に、動物たちの骨、
そして桜のイラスト。硬派で私好みである。
掴む。目次を見る。『うさぎがり』とある。
早速53ページを開く。
――「学校のうさぎがいなくなったので、
みんなで協力して探しましょう。」――
事件の臭いである。そのまま読み進む。
うさぎさんの安否が気になる。もう一度
目次に戻ってつぶさに眺めると「狼」の
文字。更に「海獣類」の文中には「人魚」
の文字。よし、購入してみよう。

 様々な色彩を持ちつつ、いずれもクリア系
微炭酸テイストでまとめられた乙一風の
世界観の物語はどれも雰囲気がよく出てる
んですが、どうにも誤字脱字や同義表現の
反復、動詞の活用形の違和感が気になって
しまうぐらい多いのが残念なところ。
 物語ではなく、文章の表記のほうをもう少し
推敲されるとリズムが整い、より透明感が
増すかと。「頼朝が欧州を平定」したのには
思わずコーヒー吹いた。

作者:坂鴨秋
紙数:132
版型:A5ソフト
割付:上下二段
文字以外の要素:イラスト
表紙:コート・マット
カバー:なし
印刷:ポプルス

*A5:210x148
*A6:148x106
*B6:182x130
*A4:298x210

【番外編】

竹薮 第12号(の無料配布チラシ)
 チラシなのでいわゆる文芸作品の枠からははみ出るんですが、
掲載情報の多様性が群を抜いていたのでちょっと紹介しておきたいと思います。
 形態としてはA4のモノクロ両面刷りを二つ折りにしてるだけですが
構成としては表面左上(全体の四分の一の面)が表紙、右上(四分の一)が裏表紙、
下半分(四分のニ)が、これが独創的なんですが、過去作品のクロスレビュー
そして裏面全部(四分の四)は面割だと四分割ですが、この面割を無視し
六分割にスペースを割り当て、新作の目次と五人分の作品の冒頭部分を掲載
という実に多彩かつ変則的な構成が採られています。

 一般的なチラシで多いパターンは、新作等の作品紹介またはサークルや個人のPR、
あるいは配布用の作品(全文)ですが、このチラシはそういった情報を最小限に
盛り込みつつ、実は一番目立って読み応えのある箇所はクロスレビューなんですね。
しかもちゃんと点数を付けてるのが何より凄い。


他にも気になる本はあったんですが(馬術の小説とか『ぞうあつめ』とか)
予算が底を突き、薬代まで注ぎ込んだんですが買えたのは以上11点でした。


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